創業者のご紹介

FC Nono Founder
Nozomu Hagihara
萩原 望 (はぎはら のぞむ)
国際協力への強い思いからトヨタ自動車を辞め、国際協力NGOに就き2020年からインド・ブッダガヤの農村開発プログラムに携わる。社会人になるまでの大学サッカー・大分トリニータのユース時代を含む人生で19年間のサッカー経験を活かし、NGOの活動の傍らブッダガヤの現地で子どもたちにサッカーを教える。この活動をきっかけに2021年にFC Nonoを本格的にスタートさせる。インドで継続的にFC Nono活動を続けるため、2022年からは、同インド・ハリヤナ州グルグラムにある会計監査法人Ernest&Young(EY)インド法人勤務に職を移し、FC Nonoのクラブ運営を続けている。
サッカーとキャリア略歴:
2009- Jリーグ大分トリニータU-18選手
2012- 立命館大学サッカー部
2016- トヨタ自動車 就職
2019- 米国World Relief Seattleインターン
2020- 公益社団法人 日本国際民間協力会(NICCO)就職
2021- FC Nono 設立
2022- EYインド 就職、
2023- FC Nono一般社団法人登録
Nonoからのメッセー ジ
FC Nonoのホームページにご訪問ありがとうございます。
インドのビハール州ブッダガヤで子どもたちにサッカーを教えている萩原望と申します。
2021年3月より国際NGOの職員としてこちらで農村開発事業を行う傍ら、
個人のボランティア活動としてサッカーチームFC Nonoを運営してまいりました。
現在はデリー近郊のグルガオン(グルグラム)の会計監査法人に勤務しながら
ブッダガヤとを行き来するデュアル生活をしながら活動しています。
FC Nonoのサッカーチームはインドに根強く残るカースト身分や性差別の中で
最下層にあたる身分に属する子どもたち、殺人や強盗などを犯した青年囚人たち、
孤児院の孤児たち、ポリオ小児麻痺を患う子どもたちなどに
サッカー指導を展開しているソーシャルフットボールチームです。
私はサッカーを幼稚園から大学を卒業するまでの19年間続けてきました。
恵まれた環境の中で日々大好きなサッカーの練習に励み、
家族や多くの方々に支えられ、サッカーを通じてたくさんの友人や恩師と出会い、
自身の成長や夢、目標を追い求め続けることが出来ました。
また、サッカーで培かった力や能力、姿勢を評価して頂き、
いままで自分自身の満足がいく進学先や就職先を選択することが出来ました。
「努力は報われる」
その価値観を実現することを望める環境・社会で育った私が今、
インドの最貧州ビハール・ブッダガヤでその「当たり前」を
外的要因によって実現することが難しい子どもたちを目の当たりにしています。
偶然その環境に生まれた。
その身分に生まれた。
その性別に生まれた。
その体に生まれた。
このようなことを理由に周囲の人々や社会から疎外され、
自分の日常と将来に自由な選択肢を持つことが出来ない子どもたちを目の前にし、
その子らの権利と健全な成長を少しでもサポートしたいと思いながら活動を行っています。
児童労働や薬物、人身売買や性的ハラスメント、貧困など
多くの社会問題がこちらの子どもたちの成長を阻害しています。
そのなかでも最下層カーストの貧困家庭で生まれた女の子たちの生活環境は特に過酷です。
親が定めた相手と10代半ば~20歳までに結婚することがいまだ慣習とされる中、
彼女たちは同年代の男の子たちのようにスポーツをすることはおろか、
自由に外出することも許されず、家事に追われ
自分の将来のために時間を費やすことが非常に難しい状況にあります。
男子と同様な権利を持つこと、
男子のように自由に走り回ってスポーツをすること
それが彼女たちや周囲の大人にとっては当たり前ではないインド地方部の社会において、
女の子たちの権利向上のためにサッカーは非常に大きな力とポテンシャルを秘めています。
培ってきた全ての経験と多くのご縁に感謝し、
FC Nonoではサッカーの力を借りて関わる多くのインドの子どもたちが
自分の将来や夢を諦めずに明日を見つけていくサポートをこれからも追力していきます。
どうぞ引き続き皆さまのご支援をよろしくお願い申し上げます。
萩原 望 Nozomu Hagihara
Nono


サッカーは常に私に道を照らしてきました。
私は偶然日本に生まれましたが
「もし自分がこの場所で生活していたら」
常にこの事を考えながら
インドの子ども達の未来のために活動しています。
“Football leads me anywhere I want to be.
I was born, by chance, in Japan where I can get anything.
If I had been born here, India,,
This question led me to think how I can serve for those kids.”